『対話の可能性』vol.1「デタラメでキレイになる。」3

トランスクリプト『対話の可能性』vol.1 「デタラメでキレイになる。」 (2008年12月18日 渋谷 UPLINKで収録)
3◆質疑応答 〜ミヤダイ×カタン流『14歳からの社会学』実践篇?!

宮台真司(以下、宮台):今日は会場からの質問は?
日比谷カタン(以下、カタン):この期に及んで、私に質問をしたい方がいれば。デタラメなことしか言いませんが。あと宮台先生に直に今回のトークの内容と全然関係ないことを質問していただいてもいいと思います。では、生き急いだ方は、ちょっと手をあげていただけますでしょうか。
...そこの後ろの某I社の社員の方、どうぞ。
質問者1(高木大地(プログレバンド"金属恵比須"/"内核の波"キーボード奏者)、以下Q1):「言葉を信じない」って言っていましたけれど、本自体は言葉でできているじゃないですか?それを、生業とは言いませんけど、それでメシを食うってことは、それは見世物なんでしょうか?それとも「伝えたいことはデタラメなんだよ」ということでしょうか?「キーワード」って言葉も出てきましたけれど、「キー」も「ワード」も言葉を信じていないと「キーワード」という言葉は使えないんじゃないか?と思うのですが。
宮台:いいとこついてますよね。そこがポイントなんです。もちろん、言葉で書いて、感動や効果を引き起こそうと狙っているわけです。そこは、シンボルを道具として有効に使おうとしているわけですよ。ただ僕は、何度も自己言及してきたように、「あのミヤダイがこんなもの書いてるの?」っていう〈ミヤダイ〉レベルで享受していただきたいっていう気持ちがあるわけです。そこまでいくと、僕は自分がどう享受されるかはよくわからないです、というのが正直なところ。「あのインチキ野郎が書いちゃってよー」みたいなのが超いいんですよ。そこを楽しんでいただけているかなっていうのが、ねらっているけど、わからないところです。まぁ「こいつインチキじゃん」みたいに、友達に口角泡を飛ばして叫んで興奮する馬鹿がたくさん出て来ると、ますます面白い見世物になるとは思ってますが。
カタン:楽しめるかどうかの問題にもなってくるんですよね。

続きを読む