『対話の可能性』対談テキストアーカイブ公開に寄せて 企画・立案 野田夏枝

★お待たせしました★

大変長らくお待たせしました。
日比谷カタン×UPLINK presents Live&Talk show「対話の可能性」過去6回分のトークのトランスクリプトテキストのアーカイブを公開させていただきます。お待たせして申し訳ありませんでした。そして、お待ちいただきましてありがとうございます。
まずは、こちらから、宮台真司さんをお迎えした第1回のテキストをご堪能ください。第2回以降についても順次公開を予定しています。どうぞご期待ください。

このテキストの筆者は、本企画の裏方スタッフの1人です。今回のアーカイブ化にあたり、この連続企画のそもそもの企画意図、発想の背景などを舞台裏からの視点で簡単にご説明させていただきます。

この企画は、UPLINKの倉持政晴さん、司会進行/出演者である日比谷カタン、そして私の3人が共同で企画立案して開催しています。そもそもの発端は、倉持さんが、UPLINKで開催されていた別のイベントに出演した日比谷をご覧になり「ライブ&トークの連続イベントをやってみませんか?」と声をかけてくれたことにあります。2008年11月のことでした。当時、日比谷はフランス公演中。倉持さんの構想を伺うために、日本に残った私が1人でUPLINKに打ち合わせに出かけました。そのときの緊張感を今でもよく覚えています。

もう、何十年も前から、UPLINKという存在は、私には特別なものでした。UPLINKが提示していた雑誌『骰子』やデレク・ジャーマンの映像から受けた衝撃なくしては、現在の自分はない。UPLINKは、今の日本で表現に関わる多くの人間の感受性や思考回路に資する大きな何かを提供してくれたマトリクス的存在である。常々そう感じてきた私にとって、そのUPLINKが運営する「ファクトリー」に日比谷カタンを出演させてもらうというのは、夢の1つですらありました。そんな「夢」が叶うかもしれない。打ち合わせに向かう道すがら、私は、たぶん、この企画に関わる三者の中で一番昂揚していたのではないかとすら思います(そして沸騰した脳味噌で道に迷い遅刻したのです...)。

★裏方の思い★
このシリーズは毎回ゲストの方に合わせて個別にテーマを決定しています。この個別テーマは、ゲストのイメージを言葉に落とし込む作業により、比較的スムーズに決まっていきます。ただ、初動段階で困ったのがシリーズ全体のイベントタイトル。日比谷の特殊性を仄めかしつつ、可能性を限定せず、かつわかりやすいフレーズとは?!...一同しばし悩むことに。数日を経た冬の深夜、日比谷の代表曲の1つ『対話の可能性』という曲のタイトルを「このシリーズにぴったりではないですか?」と提案してくれたのはUPLINK倉持さんでした。後掲テキスト*1のように、日比谷カタンも倉持さんも、それぞれの思いを抱えてこの企画に携わっています。そして、私が私個人として、この企画の中で貫きたいと密かに考えていた1つの意図は、奇しくもこのイベントタイトルが指し示すものでした。

それは、日比谷カタンに共感を引き出すことを目的とした「会話」ではなく、互いの違いを前提とした上で、そこから何を共有しあえるのかを探る「対話」をしてもらう、ということです。私は数年間、表現にまつわる現場を裏方として見聞きしてきていたのですが、さまざまな局面において、特定の嗜好を追求した結果、自分の興味の範疇内だけに留まる安全な住み分けが進行しているような、ある種の危惧を抱いていました。それはそれで十分に存在意義があるものだと感じながらも、大雑把に表現すると、もう少し多様性に開かれた場を作れないかと考えるようになっていたのです。

このため、このイベントにおける対話は、ゲスト対日比谷カタンだけではなく、出演者と客席、客席と会場、会場と出演者、出演者と企画者、客席と企画者、など、あらゆる構成要素との間に成立していて欲しいという気持ちがありました。その志に沿って、自分と他者への「対峙」は勿論、さまざまな「対立」に遭遇しても、自分の考えを言語化してエンタメとして提示できる方のみを厳選してゲストにお願いする、という点を自分の中の大きな基準として抱え、企画にあたっています。

このような私的な発想以外にも、従来、日比谷カタンのファンの方々からは「日比谷カタントークをもっと見たい」という声は多くいただいており、「日比谷カタントークイベント開催」はファンの方々の要望に応えた自然な流れとも言えました。ですが、同時に、もっと切実な動機もありました。

日比谷カタンは、ステージ上では、自らをミステリアスな存在と位置づけそのキャラクターを演じ切っています。その中で、ダブルミーニングどころかマルチミーニングですらある多義的な表現を採用しています。ところが、受け手となる鑑賞者の皆さんの中には、その複数の広がりがあるはずの表現を、ご自分が意識的に、あるいは無意識のうちに選択した限られた数や幅の経路だけを介して受け止め、日比谷の意図する多義性とは著しく異なる偏った限定的な何かとして解釈する人もいらっしゃるのです。日比谷も「誤解であろうとも解釈の1つであり、それはそれで受け止める」という大前提で表現に臨んではいるのですが、ステージの上に立つものとして、自らの本来の意図を「伝えたい」と思って発信していますし、「わかっていただく努力」は常にするべきだと考えています。この「伝えたい」気持ちから生まれた「わかっていただくための努力」の1つとして「トークショーの開催」という判断が生まれたとも言えるのです。

★「やめたほうがいい」★
イベントを開催する前から、私は日比谷カタンのスタッフとしてトークショーへの需要は感じていたし、日比谷カタン自身も「トークホストをやる」というチャレンジを肯定的に受け入れていました。ところが、開催前の準備段階から、裏方である私は周囲の色々な人に「この企画は無謀だ。やめたほうがいい。」と忠告を受けていました。

日比谷カタン宮台真司の本は読めないだろう」と言った人もいたし、「日比谷は自分が自由に意見を言うことは得意だろうが、自分の発言機会をときには抑制して、ゲストから話を引き出し、場をまとめることはできないだろう」とも言われてきました。このようなお言葉の数々は、決して悪意を伴うものではなく、それぞれに表現の現場で活躍を続けていらした方々から、真摯かつ厳しいご助言として伺ったものです。

もろもろを考慮した上で開催が決定した以上、厳しい声にお応えする場にすべく頑張ろう、と私は腹を括りました。そして、勿論、長期的に続くものを望んではいたものの「万一、3回で打ち切りになっても、それはそれで受け止めよう」と覚悟しました。途中、日比谷がこの企画自体に興味を失い打ち切ろうと言い出すことも想定していました。でも、日比谷は、イベントの質や運営の段取りに悪影響を与えるような準備の不備について指摘することこそありましたが、この膨大な労力を要する企画自体について、不平不満や弱音などを吐いたことは1度もありませんでした。

私自身は、前述の「やめたほうがいい」という声が心中に蘇る瞬間が幾度かありました。
開催のたびに、ダメな部分に気付く。
そして次の回にはその部分を改善しようと頑張る。
そして、また、別のダメな部分に気付く。
ものごととは、すべて、その繰り返しでしかない...
...とはわかっていても、開催が終わるたびに、「自分のダメな部分」ばかりが重くのしかかり、次の開催までそのダメさとの対峙が続く。時折、自分の中に生じる「このまま続けていっていいのだろうか?」という疑問。それにすっきりと答えられない日々が続いていました。

ただ、開催するたびに、日比谷カタンと会場UPLINKの皆さん、素晴らしいゲストの方々、そして何よりも会場に足を運んでくださるお客様方が、各回ならではの面白い「場」を作ってくれていた、と実感していました。それは大きな喜びであり、そのような実感の蓄積がやがて前述の自問に対する答えとなる「次はもっと充実したモノを」という気持ちに繋がってきた気がします。

★謝辞★
まさか初回に宮台真司さんをゲストに迎えることができるとは、考えていませんでした。むしろ「回を重ねて自信がついたら、いつか声をかけたい」と思っていた、最高の目標の1人が「宮台真司」という人でした。初回から桁違いの大きなゲストに来ていただけたのは、どこまでも光栄であると同時に、自分たちでハードルをこの上なく高い位置にあげてしまったという意味では自虐的ですらあって、なんとも奇妙な始動でありました。

「知る人ぞ知る」と言われてきた日比谷カタン。私はもともとイベント企画については門外漢(女ですが)。有名でもなく、実績もない、「何者でもない」私たちからの出演打診をゲストの皆さんが受けてくださったのは、勿論、UPLINKという場に魅力があり、各ゲストの方が私たちの企画意図を真摯に検討し日比谷カタンと作り上げる場に何らかの可能性を感じていただけたからだと思いますが、やはり宮台さんが初回に出演して企画のポテンシャルを大きく引き上げてくださったことは、私たちの大きな支えとなりました。
宮台先生、本当にありがとうございました。

このイベントでは、毎回、会場からは大きな拍手と笑いをいただきました。でも、私の目標である「対話」の発露は、残念ながらあまり活発には感じられなかったと申し上げざるを得ません。「やはりステージ上の表現はモノローグでしかないのか」という思いは今もまだあります。でも、6回まで回を重ねるうちに、不思議と会場UPLINK以外の場所で「あのイベントは、今度はいつやるのですか」「前回のは見逃して残念でした」「次回も楽しみにしています」と言われることが増えてきました。何とも不思議な感じがする、嬉しい驚きであります。

ここまでの開催を支えてくれたUPLINKの倉持さんとスタッフの皆さん、各回のゲストとしてお越しくださった宮台真司さん、中原昌也さん、山川冬樹さん、能町みね子さん、井嶋ナギさん、川上剛史さん、そしてご来場の皆様、クチコミや書き込みなどで多方面にご紹介くださった皆様、あの場を支えてくださったすべての皆様に、心より御礼申し上げます。皆さんなくしては、あの場は存在し得ませんでした。ありがとうございました。

そして、デザイナーとして働きながら、1か月に5〜10本のライブをこなしつつ、この企画のための膨大な準備(2か月に1度ゲストと打ち合わせて、テーマを決め、それを反映したフライヤーを制作し、私が投げる膨大な準備資料に目を通し、トークのロジックを予め検討する)をこなし、10分以上のMCネタを含む1時間以上のライブをこなした後に、当日渡された段取り表と自ら作成したメモを傍らに、彼にとって未知の存在であった人を含むゲストとの1時間以上のトークで、笑いを巻き起こしながら司会進行をこなしてくれた、日比谷カタンにも、改めて謝意を表したいと思います。カタンさん、お疲れ様です。今後とも、もろもろよろしくお願いします。

*1:日比谷カタン「はじめに。」(http://d.hatena.ne.jp/PossibleDialogue/20100131/1265285682)、倉持政晴「ひねくれまくる正攻法の人、日比谷カタンが推奨するプログレッシブな正常位としての対話とその可能性を、ご家庭で是非一度お試しください」(http://d.hatena.ne.jp/PossibleDialogue/20100130/1265318711)