はじめに。 日比谷カタン

改めましてご挨拶申し上げます。
ライブ&トークショー「対話の可能性」司会進行の日比谷カタンと申します。
この企画の立案者・野田夏枝による「『対話の可能性』対談テキストアーカイブ公開に寄せて
をお読みいただいて、このトークショーとそのアーカイブ化の意図は概ねご理解いただけたと思います。
今回このアーカイブ公開にあたり、前置き的には少々長くなりますが
「対話の可能性」について、私自身の考え方を記しておこうと思います。


私はふだん広告デザイナーとして働きながら
インディーズでの音楽活動を続けてきました。
音楽的な方向性では、詞も曲も情報のゴッタ煮、ギターの演奏も厄介な手段を選び
いくつもの声色を使い分け、のらりくらりと不条理なMCで笑いをとる・・・それら全ての要素をもって
日比谷カタンというキャラクターを展開してきました。
約10年間続けてみて
私的にやはり自分は音楽家とはいえない。という再確認と
では何故このような形態で活動するのか。という点
己の初期衝動に対し、真摯に取り組むべきではないか。と感じていました。

その過程での、野田氏とUPLINKの倉持政晴氏との出会いは
私にとっては非常に運命的なものでありました。
お二人からの自分への評価・信頼をいただいたことへの感謝とともに
なにより現場にいる人間としての共通の「問題意識」が確認できたことは
真に溜飲が下がる想いがありました。

その「問題」がまさに「対話の可能性」というタイトルそのままであったわけです。
音楽やアートの現場に限らず良くも悪くもコミュニティ化が進んだ現在
「閉塞」からくる問題を目に、耳にすることが多くなりました。
「リスク」を前提としたいわゆる「リスクヘッジ」ではなく
「リスク」が起きにくい安住の地にしがみつく状態。
そこに「可能性」はあるのか。これでいいのか。

立場や職種は違えど、そこに取り組まれている方はたくさんいらっしゃいます。
そういった方々を招いて、トークショーという形でわかりやすく、面白く展開できないか。
企画打ち合わせを経て
いざトークショーの司会・進行を務める。にあたって
著名なゲストの皆さんをお呼びしてトークを展開するなど
社会的に全く無名の存在である私に果たして可能なのか。という不安もありました。
しかしそこには
日比谷カタンとしての活動することの意味・根幹がある。と感じましたし
これはやらなくてはいけない。という強い思いと
正直やってみなければわからない。という
半ば博打的な勢いをもってこの企画に臨むことになりました。

「対話」とその「可能性」ということを私は四六時中考えています。
デザインの現場でも、音楽の現場でも、プライベートでも、そのモードは全く変わりません。
常に同じモードでオフがない状態。
もはやライフワーク的に実験・検証をしているような状態です。病理ともいえるでしょう。
私に近しい方々はすでにご承知のことかと思います。
このことはやはり
私が広告畑で仕事をしてきたことが起因しているかもしれません。

広告デザインと音楽の現場に近似する部分で
「サービス」というものが挙げられると思います。
広告の場合「サービス」というのは「奉仕」という意味合いよりも
キレイごとではない、したたかな側面が必要です。
「送り手(売り手)の想い(商品)を、
 受け手(買い手)であるお客様に気持ちよく(騙されて)購入(消費)していただく。」
という命題があるわけです。


相手が求めること、喜びそうなアプローチをする。と言ってしまうと聊か語弊がありますが
ただ相手に合わせたり、迎合したり、太鼓持ちのように機嫌をとる。ことで済む場合もあるし
場合によってはまったく逆のアプローチが有効になりこともあるし
何よりニンゲンの心理、普遍的なココロにガチで訴えかけるものが実現できれば
よい結果がでる。そのためには
相手が何を望んでいるのかを理解し、こちらの意図も理解してもらう。
結果、そのヒトが喜んでくれれば、こちらもうれしい。
たとえ直接言葉を交わさずとも
間接的に「対話」が成立したと言えると状況でしょう。

そういったスタンスは
元々音楽にコンプレックスがある私自身が音楽に携わる場合、
バランスをとるために必要だったのだと思います。
「音楽」そのものは必ずしも「サービス」が必須ではないわけですが
多かれ少なかれその要素はあり、その割合はアーティスト(売り手)によって異なり
ファン(受け手)はそのバランスを微妙に感じ取り、喜びを感じ支持する(買う)という図式がある。
この需要と供給を「対話の成立」とみなすこともできるわけです。

そのアプローチが間違っていたり、欠けていたりすると、結果はよろしくない。
広告にたとえて説明しましたが
これがヒト対ヒトの個人の関係であっても同じであると考えます。


あらゆる現場において
「対話」「コミュニケーション」は重要。とはいわれますが
相手を理解する。自分を理解してもらう。のは簡単なことではない。
それを実践するには知識・情報収集、精神力、体力、それを継続する情熱
そのすべてが絡んだ「経験値」が必要だし
こっ恥ずかしい言い回しをするなら
普遍的なココロに訴えかけられるだけの
「愛」がなければ成立しない。


では愛を持って話せば「対話」は成立するのかというとそれも違う。


心理学者・岸田秀さん共同幻想理論「唯幻論」によるところの
「幻想」が違うと話が通じない。というあたりを捩ろうかと思ったのですが
それよりも認知度が高かろう
脳科学者・養老孟司さん著の「バカの壁」での理論を引用させていただきます。
「話せばわかる。は大ウソ」のコピーで数年前に流行ったので
ご存知の方も多いでしょう。


この本の中で養老さんは
人間の脳の活動は
y=ax という方程式であらわすことができ
ここに氏のいう「バカの壁」があると説明されています。


y:「出力」
x:「入力」
a:「本人の感情や興味の係数」


aがゼロの場合、xで入力された情報は相殺され、yの出力はゼロ。になってしまう。ということです。


a:「本人の感情や興味の係数」は個人そのもの。
その個人が感情的になって判断できない。興味が無い状態だと話は通じない。あたりまえです。


「対話」が成立しない場合の説明として大変わかりやすい。


話の通じない相手、聞く耳をもてない相手、好き嫌いでいえば嫌いな相手とは
この思考停止が起こっているわけです。


別のパターンで言えば
その個人は感情的にも盛り上がっていて興味もかなりあったのに
xで入力される情報が専門用語だらけだったり、
特定のキーワードに対する短絡的な思い込みがあったり
その個人にとっては非日常で過激かつ生理的に不慣れなやりとりがなされれば
「意味不明」「不快」「失望」という思考停止を招いていてしまう場合もある。


ちなみに私は養老孟司さんの信者ではありませんが
養老さんをお嫌いな方には「養老孟司」というキーワードへの拒絶反応があるでしょうから
この段階ですでにそう受け取られたかもしれません。


だとしたらそれはすでに限りなく「ゼロ」に近い状態。


これはそのキーワードが「宮台真司」であっても「日比谷カタン」であっても同様なんでしょう。

奇しくも
トークショー第1回のゲスト、宮台真司さんの回の序盤から
その「ゼロ」状態が客席に起こっていたことを、私は進行しながら感じていました。
終演後にその旨を告げられたり、後日WEB上での感想も拝見しました。
ひとえに私の力不足。であると同時に
誤解を恐れず言うなら
受け手の力不足。も感じたわけです。

宮台さんのお話、存在を受け止めるには
食い下がる精神力・体力が必要。
知識・情報の共有はできたほうがいいですが
宮台さんの情報量に私を含めた素人が追いつけるわけはない。
のでそこは望まない。
当日交わされた専門的情報については、現場で最低限のフォローがありましたし
ぶっちゃけどうにかなったはず。
大事なことは
宮台さんは、何をいわんとしていたのか。に辿り着くかどうか。
そこに至る前段階で
過激に映る言動・非日常の言い回しに対峙し
感情的に冷静さを失いコントロールができない「ゼロ」状態。
を招いてしまうのは
あくまで個人の責任だと考えます。


この「ゼロ」が意識・無意識を問わず集団化すると
一見「ゼロ」ではないような欺瞞的錯覚さえ覚える。
これが前述した「閉塞」の怖さでしょう。


私はどうやら
これをどうするかが、取り組むべき課題だと考えているようです。


私はその「ゼロ」に対しアプローチし続けますし
私自身も「ゼロ」にならないように踏ん張ります。
その意味では送り手も受け手もない。


ちょっとコピーでも考えましょうか。


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某ショッピングモールでもお目にかからない
まあ下手クソなコピーですこと。
却下。不採用。
「愛」はあるけどね。
もっとうまいこと言いたいものです。

このスタンスで試行錯誤と反省を繰り返しながら
「対話の可能性」は続きます。
どうぞご期待ください。


ちなみにこの対談シリーズに目を通していただきます際
ゲストの方の発言は、その方の声とキャラクターを想像していただいて
日比谷カタンの発言は、下町の場末でしがないBarを営むオカマのママのオネエ言葉で
できれば音読していただくと、イイ感じのニュアンスが出ると思います。よ。


最後に
野田夏枝、倉持政晴両氏
そしていつも支えてくださっている皆様に
この場を借りまして感謝の意を表させていただきます。


いつもいつも
本当にありがとうございます。
今後ともよろしくお願いいたします。


2010年2月3日
日比谷カタン