「ひねくれまくる正攻法の人、日比谷カタンが推奨するプログレッシブな正常位としての対話とその可能性を、ご家庭で是非一度お試しください」 倉持政晴(UPLINK)

趣味と仕事がごっちゃになった挙げ句、双方の意味性が消失してしまい、まるでがらんどうの空間に取り残されてしまったような虚しさを感じながら悶々としていた時期に日比谷カタンさんと出会いました。


所謂“表現の現場”に10年間立ち会ってきた中で、ある種のスランプのような状況に陥っていた僕にとって、カタンさんの在り方は新鮮に映るどころか正しく目から鱗でした。


「自分は音楽家ではない」と嘯きながらも確かな作曲能力と演奏技術を持ち合わせ、自らが歌の中に作りあげる複雑怪奇な世界の住人に成り済ますことによって初めて実現するという表現の特殊性。


この世に蔓延るありとあらゆる矛盾をかき集め、一旦それらを脳内ミキサーにぶち込み、その中からごくわずかな量だけ絞り出される高純度/高濃度の表現のみを観客にサーブしようとする表現者としての誠実な姿勢。


そういったカタンさんの理論やアイデアの源泉をもっと探ってみたいという欲求に駆られ、ゲストとの対談とライブで構成されるイベントができないかとこちらから話を持ちかけたことが切っ掛けとなって、UPLINKでのシリーズ「対話の可能性」が始まりました。


今、文字に起こされた対談の記録を読むにつけ、僕はその時の会場の空気や出演者の表情を思い出すことができます。
また、その場で語られていた話題の中から新しい切り口を発見することもできます。
それはまるで自分の記憶と記録が対話をしているかのような感覚で、奇妙な心地よさがあります。


記憶と記録の蝶番の役目を果たす対話の可能性。
この贅沢な仕掛けを皆さんにも是非楽しんでいただきたい…と切に願う次第です。